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あいのパパ(管理人)、愛ママ、愛兄、広汎性発達障害の愛の4人家族です。

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”本音”でぶつかってみようよ!

これまで、愛のおかげでいろんな親御さんを見てきました。


人それぞれ大変さは違いますが

みな同じような事を体験されていると思うと

それだけで、共感できます。

父親の会に参加すると、気が晴れます。

いろいろな会に出ると、いろんな考えがあるんだなあ、と

思います。


それだけ、子供の事を真剣に考えているのだと

思います。



しかし、その一方で

「妻がうつで・・・」とか「夫婦でうつに・・・」ということも

聞きます。

うつでなくても、体調を壊すということも

あるのかもしれません。

うつや憂鬱な気分になる、体調を壊すのは

どうしてでしょうか?


私が思うのには、やはり自分の子供に「今より良くなって欲しい」

と心のどこかで思っているからだと思います。



・・・当然ですよね。


誰でもそう思います。なので体は嘘はつかない。

子供の将来のことでうつになる、という人も根本的に同じです。

しかし、現在のところ有効な治療法もなければ

特効薬もない。

療育も同じ(というか治療が目的でないので当然か)。



私は、少なくとも親の気持ちはもっと本音を出してもいいんじゃないかって

思うんです。

ただ、「発達障害は治らない」ことは前提として理解しなければ

いけませんが。



ならば、出来る限り子供が自分でできるように

教えていかなければいけないと思います。

並大抵のことではないと思いますが・・・。

そして子供の悪い部分を見るのではなく

いい部分を見つけて伸ばしていく。

いい部分を見つける宝探しをしましょう。




















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「支援学校」それとも「支援学級」?

愛は今、年長さんですが

私達はそろそろ来年の就学のことを考えなければなりません。

そこで問題になるのが、

支援学校に行かすのか、地域の小学校の支援学級にするのか?

ということです。

どちらにすればいいのか、悩むところです。

愛の今の状態では

支援学級でもやっていけるだろう、という方向(一応です)が

はたして、それでいいのだろうかと思うんです。

支援学級に行かせるだけのメリットはあるのか?

支援学級で何ができるのだろうか、とかいろいろ考えると

解らなくなってきます。

それに、例え小学校の支援学級に行ったとしても

中学・高校へは支援学校になるだろうなと思うので、

それなら、小学校から支援学校に行った方が

親同士のネットワークなどを作るのにもいいのではないか

とかいろいろ考えてしまいます。

これから考えていきたいと思います。






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重度、軽度は人の評価ではない

発達障害の診断では軽度、中度、重度と分類されます。

あと数値で評価が出されたりします。

診断をする以上、何かの基準があって

その基準からどの位離れているか、で診断が分かれます。

ではその基準とは何?

もちろん、定型発達の子ですよね。

ということは、これらの軽度、重度というのは

「定型発達と比べて」、ということになります。

これは社会的な適応のしやすさ、しにくさなのかもしれません。

言いかえれば、支援の厚みの違いということでしょうか。

極端な言い方をすると要支援の分類でしかないということ

でしょうか。

私の娘は最初の診断は中度~重度と診断を受けましたが

今では比較的軽度の範囲だと思います。

しかし、軽度だからと言って楽観的に考えていません。

私たち親は「軽度、重度」といった単語に振り回されて

いるような気がします。

確かに重度の人は大変かもしれない。

しかし、期待もあります。

人並みはずれた能力を持っているかもしれない。

それをまだ発見できていないのかもしれない。

もし、その能力を社会に役立てることができたら・・・

どんなに社会貢献ができることか。

結局、軽度でも重度でも親がその子の得意な能力を

見つけて(認めて)あげて、それを最大限生かせるようにすること、

また、社会もそれを支援すること。

それがこれから必要になってくると感じます。





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最近の「虐待」に思うこと

最近、親による子供への虐待の報道が目につきます。
やはり増えてきたんでしょうか。

虐待は昔からあったと思いますが
今まであまり報道されなかったか注目されていなかった
だけかもしれません。

ニュースなどで報道されている虐待をしたとされている
親の言い分をみてみると

「泣きやまなかったから」
「言うことを聞かなかったから」
「なつかなかったから」

・・・・・・・・・・・。

みんな、親が自分中心に物事を考えています。
「自分は悪くない、悪いのは泣きやまないこの子だ」
「自分は悪くない、なつかないから悪いんだ」
と考えるんですね。

自分自身(親)が変わろうとせず、
子供を変えようとするからしんどいのだと思います。

親の考え方や行動が変われば
子供も変わると思います。









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おせっかいかもしれないけど・・・

皆さんも心当たりがあると思いますが・・・。

街中や行楽地などで

お子さん連れの家族を見た時に

自分の子供の経験から

明らかに「この子そうじゃないか?」って

思う事。

そうと決めつけてかかるのは良くないと

思うんですが

やはり少し気になる。

親は気付いているのかいないのかはわからないけど

大変そうです。

私はそのような家族をみるたびに

何か力になれるといいのになあ

と思うのですがどうにもできない。

かつての自分の子と同じ位の

大変さを持つ家族には特にそう思います。

よけいなおせっかいかもしれないけど

いろいろ情報提供したいと思うのです。

このブログも最初ABAのことを書くつもりは

ありませんでした。

しかし自分の子が変わっていくのを見て

多くの人に情報提供することは必要だ、と感じるように

なりました。

それで今のようなブログになってしまいました。

今の療育は、一番伸びる時期の子供の能力を

無駄にしているように思えてなりません。

300キロまで出せるエンジンを持っている

車なのに30キロしか出して走っていないような

ものです。

もったいないと思います。








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普通学級のほうが”行動療法的”

愛兄、今小学3年生。
習字の時間は50代位のベテランの先生。

その先生、今時珍しいというか、私たちの頃は
珍しくもなかったが・・・・・。

先生は筆の持ち方から書き方まで1つずつ教えるのだという。

まず、生徒に「手はおひざ!」と言って
ピシッ!とさせる。

そして、筆での書き方を教えるのだが
字を1工程ずつ教え、決して生徒に先にやらせない。

先生の通りにやらせる。

その先生の前では、生徒は私語はしない。

そんな先生、珍しくなったなあ。

 

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ABAの視点で教育を考える

最近、学校では
「先生の言うことを、生徒がなかなか聞いてくれない」
ということを良く聞きます。

私が小学生の頃は
先生というのは「怖い」というイメージでなにか
「威厳」がありました。
今の子供たちはまったく思っていないようです。

また先生も生徒にあまり怒らない。

だから注意しても
生徒は平気で好き勝手な行動を繰り返す。

なんでこんなに変わってしまったのでしょうか。

今の子供達は(全てというわけではありませんが)
「人の話や言うことを聞く」ということが
出来ていないような気がします。

ゆとり教育を見直そうという方向になっていますが
先生の言うことを生徒が聞かなくなった、
ということも原因かもしれません。

ABA療育は子供に「親の指示に従わせる」ことを
重視します。
これがきっちりできないと先に進めません。

このことは今の教育についても同じことが
言えるのではないか、と思えてなりません。

「子供が先生の言うことを聞く」という姿勢を
作ることが大事だと考えます。

おもしろい先生だと
生徒もちゃんと聞いてくれるかもしれませんが、
そういう先生ってなかなかいませんね。

人の話をきちんと聞く、自主性にまかせるときは
まかせる。
きちんとメリハリが必要だと思います。











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発達障害者が住みにくい国

ある国の一般的な国民性の特徴を挙げてみます。


・”集団”の中に居ることが好き

例えば、
横一列に並んだ状態で、横を見て自分が一歩でも前に出ていたら
下がろうとする。また、遅れていたら追いつこうとする。
「目立たないように、目立たないように」と考える。

みんなと同じ考え・行動が好き。そのようにすることが
一番無難だと考える。
そうしなければ恥ずかしい、と感じる。



・”人の気持ちを察することが美徳”とされる

言葉よりも、人の気持ちに先回りして行動を起こす。
そうすることで人間関係が円滑にすすむ。
また、相手もそうすることを期待している部分がある。
それが出来ないと、人間関係の構築が難しいことがある。



これらのことは、全て発達障害者には難しいことなのです。

私は外国に住んだことが無い為、諸外国は障害を持つ人にどの位の
理解があるのかわかりません。

しかし、少なくとも”個性”を重視している国であれば、「こんなの
個性だよ」と問題にしていないこともあるのでは、と思います。

一応診断基準がありますが、同じ障害の程度であっても
日本の方が重く診断されることがあるのかもしれませんね。

見方を変えると、
そのような考え方を持つがゆえに日本では品質管理が発達したのかも
しれません。

ですが、人は物ではありません。

人それぞれすばらしい能力を持っているはず。
発達障害者もまた同じだと思います。その人たちの能力を
充分発揮できるような社会になって欲しいと思います。







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療育に関わる費用は誰が負担する?

発達障害があると、療育手帳が発行されたり
いろいろな手当てが支給されたりします。
それを療育費用にあてたり、支援を受けたりできます。
それはそれで有難いことだと思います。

しかし・・・・

現在の療育や将来受けるであろう支援のことも考えると
まだまだ不安でいっぱいです。
それを思うと、必ずしも十分とは言えないと思います。

療育の種類にもよりますが、
ABAのセラピストさんに来てもらうとなると、かなり費用が
かかります。
日本で充分なABAセラピーを行うとすると
一部のお金持ちしか受けることができないと思います。

そこで、私は次のような方法を考えてみました。

1.ABAセラピーの費用を公費負担にする
 これは米国ではすでに実現しています。
 日本でも実現できれば、誰でも公平にABAが受けられるように
 なります。

2.医療保険制度で3割負担にする
 最近は在宅医療というものが増えてきました。
 ABAもリハビリの1つとして将来在宅でセラピーといったことが
 できるかもしれません。

3.生命保険の特約として創設してもらう
 セラピー費用の全額または一部(3割など)を生命保険から
 出るようにするわけです。
 実は今年の初めに、私が入っている生命保険会社に提案を
 しました。「検討してみます」とのことだったんですが・・・
 1年近くなるのに、未だに何の連絡もありません。

1と2に関しては、国に働きかけていかなくてはなりません。
しかし必ず帰ってくる答えとしては

「財源はどこから持ってくるのか?」

でしょうね。
確かに発達障害の子供は大勢いると思いますし、それらの子供たちに
公費負担や医療費増となると莫大な費用がかかると思います。
国もなんとか予算を抑えたいと考えているので難しいでしょう。

しかしですね。
もしかしたら、
ABAは効果がある、というデータをたくさん出して
解析してエビデンスのレベルを高いものにして、また
本来支援学校に行く生徒が支援学級に、
本来支援学級に行く生徒が通常のクラスに、ということになり
その結果、支援学校の新設が減りその分の予算が減った、
ということを実証することができれば可能ではないか、
と思うのです。
ただ、ABAセラピーの費用が支援学校の建設費を下回る必要が
ありますが。
「ABAセラピーをした方が国の予算を減らせるのだ」という証拠を
示すことができれば、国も納得するのではないでしょうか。



  




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やっぱり、「遊ぶこと」って大事。

健常の子や発達障害の子に共通して言えること・・・・
それは「遊ぶ」ということは、すごく大事なことだなあと思います。

この前の保育参加したクラスは、
4歳児クラスになると、みんな口達者になり我もでてきて
やんちゃな子もいます。
その反面、おとなしい子もいて
個性が強くでてくる年代だな、と感じました。

遊びはまだ平行遊びが多いように思いましたが
中には他の子と協力して遊んでいる子もいました。
おもちゃの取り合いで喧嘩をする子もいたり
人の作った積み木を壊す子もいました。

以上のこと、これ全て健常児のことです。

こうして健常児の遊びや他の友達とのかかわりを
見ていると遊びを通して、時に協力し、時にぶつかりあって
社会性を身につけていくのだな、とひしひしと感じました。

自由遊びの時、私のとなりにSちゃんが細長いつみきを
井の形に組み上げようとしていました。
しかし、うまくできなさそうでした。
それで少し手伝ってあげることにしました。
そして、そのつみきを全部使って高く組み上げられたのを見て
大変うれしそうでした。
それを崩して、「もういっかい、しよー!」と私に言ってきました。
また、一緒に作りました。
「もういっかい!」と結局何度も作ることに・・・・・。
「うれしい」という気持ちはこのようにしてうまれていくんだろうなあ
と思いました。

その隣では他のつみきで遊んでいる子がいました。
私はつみきでタワーみたいなものを作り、
「これできる?」とちょっと愛に教えているようなことを
してみました。
その子は簡単にできてしまいました。
(結構複雑なものだったのに)
「すごいなあ!」と言うと
得意げな顔をしていました。

ある子はつみきでドミノ倒しをしていたりして
1つのおもちゃを幾通りにも遊べるようになる想像力も
養うことになるんですね。

この体験は愛の療育に大変参考になると思いました。











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