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あいのパパ(管理人)、愛ママ、愛兄、広汎性発達障害の愛の4人家族です。

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成長と療育のバランス

療育をしている時に注意することがあります。
それは、「その子の”今”の成長にあった療育」を
しているのかどうか、を考えることです。

例えば、「手を洗う」ということをするとします。

洗面所へ行って
1、水道の蛇口をひねり、水を出す。
2、両手をこすりながら、水で手を洗う。
3、蛇口をひねり水を止める。
4、タオルで手を拭く。
という一連の作業が必要です。

まだ子供が小さかったら、蛇口をひねる力がまだ
無いかもしれません。
そのような場合、最初は親が蛇口をひねり、水を出して子供が手を洗うのを
手伝うと思います。
このように、1から4まで全て出来なくても出来るところから
教えていると思います。
そのうちに成長して、蛇口をひねるだけの力がつくと
初めて1から4まで自分で出来るようになります。

療育も同じで
今出来ないことでも、数か月後に自然に出来る(理解できる)ように
なることもあります。
うちの子も、数を数えることが苦手で
「なぜ、できないんだろう?」と思ってましたが
1年位経つと出来るようになりました。

今から思うとおそらく、
蛇口をひねる力がまだ無いのに、1から4まで全て自分で
やらせようとしていたんですね。

つくづく反省。




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幼稚園か?保育所か?

愛は1年間、療育施設に通った後、保育所の年少クラスに
障害児枠で入りました。
では、幼稚園に行くという選択肢はなかったのかと
いうと、愛の場合、身辺自立がまだまだだったので保育所の
方がいろいろ身につくだろうと考えたのでした。
療育施設の意見も同じでした。
愛は遊び・・・特に友達と一緒に遊ぶことができるようになることを
重点に置いていました。
幼稚園も遊びはありますが、どちらかというと教育に力を
入れている(必ずしもそうとは言えませんが)ので、愛には
ハードルが高いだろうな、と思ったわけです。
勉強はゆっくり家で教えて行き、生活に密着したことをまず第一に
習慣づけることを目標にしました。
もちろん、幼稚園でも問題ない子もいると思いますが・・・。


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診断を迷っているかたへ

愛は、診断を受けています。
2年半前の診断は、「知的障害を伴う自閉症」でした。
去年の秋では、「広汎性発達障害」でした。
2年間で成長して自閉傾向がやや薄まった、のでしょう。

療育施設の時もそうですが、保育所でも
「まだ、病院に連れて行ってない」とか「診断をうけてない」
とか言っている親をみかけます。
そのような親でも、子供を「なにかちがう」と気付いているはずです。
けど、診断を受けるのが怖いのでなかなか病院に足が向かない
のかもしれません。

私たちの場合も
愛ママが、「上の子の時と違って、下の子(愛)は
なぜかわからないけど違う」といっていました。
私が「何が違うの?」と訊くと、「わからないけど、
とにかく育て難い」といいました。
母親は直観でわかるんですね。

それから病院に連れて行き、診断を受けたわけです。
診断を受けるのは怖いですが、しかし現実を受け止めて、
必要な支援を受けた方が絶対いいです。
結局、それが子どもにとって一番いいと思います。
もしうやむやにしていたら、今頃はどうなっていたか。
それを思うと・・・・。

 

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ほんとに不幸なのか?

人って(私も含めてですが)、嬉しい事が起こると「自分は幸せだ!」と
思い、悩みごとがあると「自分は不幸だ!」と思います。
しかし、40を過ぎて、この頃考えてしまうことがあります。
(こんな事を書くのは年のせいでしょうか・・・笑)
「幸せだ」と思う時があっても、それは「人生の幸せではない」ということ。
「不幸だ」と思う時があっても、それは「人生の不幸ではない」ということ。
自分が幸せだ、と思う分には別にそれでいいと思います。
しかし、不幸だ(少なくとも今の状況で)と悲観するのは早過ぎると思います。
なぜかと言うと、「人の人生なんてこの先どうなるかわからないから」です。
私も、愛に障害があることが分かってから、障害やABAのことを知り、
また同じような障害を持つたくさんの家族と出会いがありました。
私にとっては一気に自分の世界が広がったように感じました。
話をもとにもどしますが、
自分は「幸せだった」「不幸だった」かどうかは自分が死ぬ直前まで
解らないと思います。

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個性の範囲に近づけるとは

病気でも治せないものがあるのに、発達障害が治せるとは全然思っていない。
しかし、リハビリなどである程度改善させることはできるはずである。
ABAはそのリハビリではないか?と思う事がある。
ただ、ABAによる医学的な改善効果はまだ実証されていないようだ。
医学的というのは、ABAを2年間したとしてその前後で脳の領域にどのような変化があったか、ある領域が活発になったとか、神経伝達物質が増えた、などのデータである。
「はじめに」のところで個性の範囲に近づけたいと書いたが、そもそも健常児の個性の範囲はさまざまで特定できないのが本音だ。
私が持っているイメージは、大勢の友達と校庭を走りまわっている愛や
普通に勉強している愛を見て、でもあの子(愛)は障害がある(あった)んだよ、と言えるくらいになってくれたらなあと思う。
健常の子達と交わっていても目立たなくなるということかなあ。
そんなことができるのかな。
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親の考え・・・というか私の考え。

昨日の夕食時、愛ママから保育所に愛を迎えに行った時のことを聞いた。愛ママは、「やはり、愛はこの前のグループの子からよく思われていないみたい」とブルーになっていた。先生に相談しても、「考えすぎでは?」と言われたそうだ。内容を訊いても、考えすぎかも?と思う部分とやはり・・・?と思う部分がある。
それについて私の考えはこうだ。
ブルーな気持ちになるのは、周りを変えたいと思って気が重くなるからである。
もっと愛のことを考えて!とか障害のことを理解して欲しい、先生も真剣に対処して欲しい、お友達たちも仲良くしてほしい、だとか自分の周囲を変えようとしているのである。無意識ではあるが。
しかしよく考えてみると、その子達は愛を誤解しているかもしれないがある意味自分の気持ちに正直なのである。
自分の気持ちに嘘をつくことなしに行動している、ただそれだけなのだ。
子供は素直であると同時に残酷でもある。愛は今、その残酷な部分に直面している。本人はそのことを自覚していないが・・・。
愛と同世代の子に、障害の事を理解できるはずがないのにそれをさせようとすること自体に無理がある。
表面的や形だけの理解で、なかよくしているようにさせることは気持ちに嘘をつくことにならないか。
それでは、そのグループが可哀そうである。
ではどうするべきか?
その子達が自然に愛と遊べるようになることである。
つまり、変わらなければならないのは愛の方であると考える。
心の底から愛と遊びたい!と思わせなければならない。
よく、障害者にやさしい社会を!などときくことがあるが、なんでもかんでもやさしくすればいいもんじゃない。
直面する問題を避けていれば、小学校や中学校でも同じ問題が待っているだろう。




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親の本当の気持ちは

市の親子教室(通常より少し発達に遅れがみられる子が勧められる教室)や療育施設などの保健師さんや先生から、「この子はこうしたいんですよ!」と問題行動と思われることも肯定的に捉えて言われていた。今でも一般的にそうなのだが、果たしてそれでいいのか?と思う。
おそらく、親が受けるショックを和らげる(ケアする)意味でそのように言われるのだろう。
市の検診や療育施設、病院でも
同じように言われて、親も「そう考えよう」とする。
そして、療育施設や保育所などの懇談でも「この子はこの子でいいんだ」とつい?言ってしまう。(本当に思っている人もいるかもしれませんが)
それに対して先生は「それでいいんです」。
しかし、それは本当に親の本心だろうか?と思うことがある。
なぜかというと、最近発達に遅れがある子供を親が殺すという事件が目につくからだ。
今の療育に満足していたら、こんな事件は起こらないはずである。
親側と療育側との考えにやはりギャップがあると思う。
療育側は「今」を大事に考え、親は「今と子供の将来」を考えているような気がするのだが・・・。
今の療育は、いつか必ず来る問題を先送りしているような気がしてならないのだが・・・。
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いろいろな親の考え。

うちの子供にはABAによる療育をしている。しかし、医療機関や教育関係者には理解してもらっているとは十分に言えない。
特に保育所などの相談員の人には懐疑的な人もいる。多くはABAについてほとんど知識がないから仕方がないのだ。
根気よく説明していかなくてはならない。
それ以外に、親の間にもいろんな考えの人がいる。
ABAを否定する人はほとんどいない(というか、知っている人がいない)が、療育施設や保育所、養護学校に任せてるので自分(親)はこれ以上しんどい思いをしたくない、楽をしたいと思っている人が多いような気がする。自分の子供なのに・・・
子供の将来を真剣に考えてるのかな?と疑いたくなる親が時々いる。
親がいなくなったら、子供は公的機関が全て面倒みてくれると
思っているのだろうか?
これでは、保育士や学校の先生の負担が重くなるのは当然だ。
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