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健康でいること

健康でいること・・・・・


これは大事なことだと思います。


私はジョギングを始めて半年が過ぎました。


始めたきっかけは

今年の春先に立て続けに肺炎になったから。


もっと体力をつけないと、と思ったからです。

雨の日以外、だいたい週に5日は

走っていました。

おかげで、少しは体力がついたと思います。

横断歩道の信号が点滅して走った時、

今までは、走り終えてからちょっとしんどかったですが

今では全く平気になりました。


ジョギングを始めてからは

精神的にもリラックスしてきて

肉体的にも精神的にも健康を感じるように

なりました。

愛ママも最近、ジョギングを始めました。


私達が健康でいることは

私自身にとって大事ですが

子供たちにとっても大事です。

これからも体に気を付けて

行きたいです。




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腹が立つ!

今日は何かしら

腹が立っています。


しかし、理由が言えないのが残念です。


発達障害と言っても

「自閉症スペクトラム症候群」というくらい

定型から発達障害といわれるくらいまで

その程度が連続している帯状になっている訳で、

それが境界を判りにくくしている訳ですが

人により違いがあるから

余計にわかりにくい。

重度であれば

周囲の理解も得られやすいと

思います。

しかし、障害が軽度な場合や

知的に問題がない程度であれば

周囲からは「できるのに」といった

「余計な期待」がある為、

「できるはずだ」という誤ったイメージを

与えてしまいます。

そのため、

「普段、こんなことはできるのに、なぜ

これはできないのか」という

判断が周囲に生まれます。

それが目立つと、

「その子を親が甘やかしているのでは?」という

疑問にまで発展します。

そうなると

周囲の矛先は「親」に向けられます。


親がいかに子供と向き合っているのか、

その子の為に、どんなに努力をしているのかを

理解せずにです。


そりゃそうでしょう。

健常者の子供の親からみれば

発達障害の子供の親が普段、

どんなに苦労をしているのか

解るはずがないですよね。

所詮、解るはずもない。


じゃあどうするのか?

私が過去に読んだ本を

思い出しました。


内容はこのようなものです。

「車の運転も、交通ルールを守っていても

相手からぶつけられて事故になることもあるように、

人生もこちらは気を付けていても、いろいろごちゃごちゃ言ってくる者が世の中には

いる。しかし、それらをひょいと、かわすような術を身に付けなければならない」


ビジネス書だったのですが、

全てに通じるなあと思います。












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職場でカミングアウト

愛に障害が判って

療育(ABAのことです)を受けることになり、

そのために平日を休まないといけなくなりで

職場の一部の人に愛のことは話しています。

休みのことで相談したりできるので

今の職場には感謝しています。

しかし、そのあとに入ってきた人には

まだ話していません。

なかなか、話を切り出すきっかけがつかめないのです。

まあ、話しても

「ふ~ん」で終わるかもしれないので

無理に話すこともないかな、

とも思いますが。

一応上司には話しています。

今のところ

愛のことで仕事を休むことは

無いんですけどね。

みんなに話した方が

いろいろ話せるかなとも思ったりして

なんかもやもやしています。









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診断は受けるべき、しかし障害の有無にこだわる必要はない

この前の父親の会の飲み会(一応)に参加して

子供が診断を受けて間もないお父さんの参加が多かったことを

書きました。


しかし、中には

「まだ、診断を受けてないんですよお」

という人もいました。


確かに

診断を受けて、その結果に

恐れる気持ちはあると思います。

それに手帳を受けることに何か

後ろめたい気持ちも

あるかもしれません。


しかし、しかし・・・

診断は絶対に受けるべきです!

子供のために。


保育所でも小学校でも

子供の障害が明らかなのに

親は知ってか知らずか

ほったらかしに(しているようにみえる)なっている

ケースを時々見かけます。

これは子供にとって不幸です。


診断を受けていないから

必要な支援を受けにくいのです。

支援を受けることに遠慮してはいけません。

むしろ障害者にとっては

当たり前の「権利」だと思うのです。


それでは、

診断を受けたとしても

そのあとの気持ちの切り替えや対処は

どうしたらいいのか・・・・・


私は

「診断を受けたとしても、障害の有無に

こだわる必要はない」

と考えます。

矛盾しているように見えますが、

定型発達の子でも

それぞれ違いがあります。

理解の早い子・ゆっくりな子、運動の得意な子・苦手な子

おしゃべりな子・おとなしい子・・・・・・・。

そしてそれらの子に対して

それぞれ対処の仕方が違うと思います。


以前、テレビで

計算が苦手なLDの大人の人が

花屋さんで立派に働いていることを紹介していました。

計算が苦手なのに、ちゃんと会計もしていました。

片手に電卓を持って。


計算が苦手なら、電卓を使えれば

問題ないんですよね。

いろいろ悩む人は

その「電卓」を見つけられていないからだと

思うのです。

みんなそれぞれ自分の電卓を見つけることができれば

どんな人でも社会で立派にやっていけるはず。

私も

愛にとっての電卓を探します。






















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また、悲しい事件が・・・


また知的障害の子供に対する虐待のニュースです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110523-00000125-mai-soci


支援学校の高等部に通っていたそうです。


ということは、親は自分の子供について

充分理解していた、と思いたいのですが・・・・・。


なぜ、こうなってしまったのでしょう?


親は「しつけのため」と主張していますが、

明らかに行き過ぎていると思います。

私も愛に怒ってしまうことはあります。

しかしそのあとで反省する、の繰り返しなので

あまり偉そうなことは言えません。


怒っても、「意味が無いなあ」とつくづく感じます。

というのは

本人にとっては


「なぜ怒られるのか、全然わかっていないから」


だと思います。

正確に言うと、本人は気付いていない

のだと思います。


だから、間違ったことをした場合に

怒ったとしても、本人は何故怒られたのか解らず

唖然としていることが多いように感じます。

それでは何の解決にもなりませんね。

「それではダメッ!」というよりも

「このようにしてね」と

気付かせてあげるように手助けをすることが

重要だと思います。







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「隣の芝生は青く」見える。

毎年、ゴールデンウィークになると

思うことがあります。


私はGWに関係なく、祭日にも仕事が

あります。

しかし、愛ママや子供たちは

テレビで、「黄金週間で海外へ」や

「10連休」などのニュースや新聞の見出しを

見て


「いいなあ!」を連発します。



私もそのようなニュースを見ると

確かに、うらやましいと思うのですが

普段は毎日、深夜まで

一生懸命働いている人たちかもしれません。

必ずしもそうとは限りませんが、

楽な仕事なんてないですよね。



このように、

人というのは、


「自分に無いものを、うらやましいと思う」んですよね。


人に無いものを、自分が持ってるのに。


自分の子供にも同じことが言えますね。














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”障害”を受容するには

愛が「発達障害」の診断(当時は自閉症)を受けてから

もうすぐ4年になります。


当時の気持ちを振り返ってみると

「たぶんそうかもしれない」という気持ちと

「もしかしたら違うかもしれない」という気持ちが

交錯していました。


そういう揺れている気持ちの中で診断されたのですが

「ああ、やっぱりかあ」という気持ちでいっぱいでした。


解っていても気持ちを切り替えて

現実をすぐに受け入れることって難しいですね。


あの時はそうだったのですが

だんだん時間が経つうちに

なぜ悲しいんだろう?と思うようになり、そのうちに

悲しいと思うのは自分で悲しいと思い込んでるだけだ、と

思うようになりました。


私なりの考えですが、

障害を無理に受け入れる必要はないのでは?

と思います。


障害があるとか無いとかにこだわらず

目の前にいる子供に「何が必要か」を

考えることが大事だと思います。


それは定型発達の子に対しても同じです。

遊びや勉強を教えることを考える時、

その理解度はひとそれぞれ違います。

なので、どこまで掘り下げて教えるのかは

当然、人により違います。


そう考えると、障害の有無なんて

実はどうでもいいのではないか、

と思ってしまいます。


子供の障害を受容することについて

夫婦間で温度差がある場合、

(とくに夫側は理解しようとしないことが多い?)

それで夫婦が不和になることもあるのかもしれません。


しかし、そのような考え方であれば

夫婦で同じ認識を持てるのは可能であると

思います。
















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人生楽しく

就学を控えて、今の愛は

知的にはまだまだですが、それ以外の事については

ほとんど問題がなくなってきました。

小学校に通うことになっても

勉強についていくのは難しいだろうし

友達との会話にもとんちんかんな部分もあります。

なのでその辺の問題点はまだありますが、

以前に小学校の支援級を見学してから

「愛なら少しの補助でやっていけるだろう」と

思えるようになりました。

すると、

今までよりも

自分たち親の自由時間に余裕が出来てきました。

ほんのちょっとですが。

その時間で、

自分の好きなことをする、家族で何かする、ということが

増えてきました。

今までも家族で何かする、ということはしていましたが

それは「療育」を含めて考えていました。

しかし今では

普通に「家族で遊ぶ、楽しめる」ようになってきました。

例えば、

愛兄が冬休みに友達と初めてスキーに行って来たのですが

楽しかったそうで、「また行きたい!」と言うので

11年振りに再開することに。

突然のことなので、実家に置いてあった「サビたスキー」を探し出し

慌ててメンテナンスするはめに。

週末に行く予定なのですが

スキーグッズの準備におおあらわです。

自分の好きなことに時間を使えたり、家族の遊びの幅が増えると

大袈裟かもしれませんが

人生がなんか不思議とパーッと明るくなります。















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JDDネット年次大会(神戸)から

私は先週5日間休暇でした。

休暇最後の日(日曜日)はJDDネット(日本発達障害ネットワーク)年次大会が

今年は神戸で開かれ、参加してきました。

どの演題も興味があるものばっかりでしたが、全部は見れなかったのが

残念です。

そのなかから幾つか紹介していきます。

最初は「障害受容と家族支援」という題で

立正大学の中田 洋二郎先生の講演でした。

親をどのように支援していくか、という内容でどちらかというと

臨床心理士向けの講演でした。

この中で、とても興味深いものがありました。

それは、

「家族が子供の障害を肯定しているようでも、内面では

障害を否定する心情が存在する。その反面、家族が障害を

否定しているようでも、それは障害を認め、受け入れようとする

過程かもしれない」

というスライドでした。


それは確かにそうなんですよね。私も前に記事に書きましたけど、

誰も「望んでいた」わけではないんですよ。でなかったら

鬱になる人はいません。

しかし、現実を受け入れなければいけない。

そこのギャップでみんな悩むんですよね。

最初はどうしたらいいのかわからない。

障害受容過程の段階的モデル(Droter 1975)では

最初は「ショック」があり、次に「否認」、そして「悲しみと怒り」を

経て「適応」、「再起」に繋がっていくそうです。


では、調査研究による親の障害受容の最終段階とは?

・努力を通して親自身人間的成長を子供に感謝する段階
 親自身の人間的成長の段階

・母親が自己の成長を感じる

・「障害」を劣等と捉えない障害者観

これらのどれかを自覚すれば山を乗り越えたと言えるのかも

しれませんね。














 

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高速道路を走っていて感じること

高速道路を車で運転していていつも感じることがあります。

それは、自分が行きたいと思っている目的地に

ちゃんと行くことができるように看板が表示されている、

ということです。

大きな看板で行先の表示が示してあったり、ジャンクションでは

「ここのレーンを走れ」みたいな矢印がしてあったりと

できるだけ、簡単で見やすいように表示がされています。

それでも私なんかは看板を見落としたり、出口を間違えたりすることも

ありますが・・・・・・。

それに表示が目的地のずいぶん前から表示されていることも

あります。これだと前もって「もうすぐだ」と、降りる準備ができます。

速い速度で走っているから、そうでもしないと間に合わないから

かもしれません。

ゆっくり走っていたら、すぐに気付くのかもしれないですね。

きっと発達障害児の療育も同じようなことが言えるのでしょうね。

大きな看板が必要な子もいれば、小さな看板でも気付く子もいる。

矢印(必要なことだけ)で解る子もいるのだと思います。

いずれにしても複雑でない簡単なデザインの看板が必要ですね。













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