昨日は、近くの精神医療センターの診察日でした。
愛ママが愛を連れていったそうです。
診察は2年振りで、診てくれる先生も変わっていたそうです。
診察では先生からいろいろと質問されたそうですが、
特に、支援級に在籍していながら
普通級の宿題をしていることに対して、こう言われたそうです。
「発達指数がまだそこまで到達していないのに、高学年の内容を
しているのはムリがないか」
「そのことで、パニックは起こっていないのか」
(愛に対して)「学校は楽しいのか?」
愛は「学校は楽しい」と答えていました。
宿題に関しては、難しい問題もあるができる問題もあり
おおむねできている、と答えたそうです。
出来ないとパニックを起こすのか?は
小さいころは、暴れて走り回っていたが今は、
涙目になるが自分の気持ちをコントロールできていて冷静になっていると
話したそうです。
先生は愛を初めて診察するので、まだ把握しきれていない感じだったそうで
なぜパニックを起こさないのか、非常に不思議がっていたそうです。
愛ママは「ABAをしていたから」とよっぽど言おうとしたそうですが
私は、「それもあるけど、たぶんそれだけ成長したということやろなあ」と
(控えめにW)言いました。
昨日の診察から感じることは、
医師の考えと学校の方針はよく似ているし
以前から変わっていないなあと改めて思いました。
よく、発達障害の教育は「植物を育てるように」と言われます。
昨日の両者はまさに、これ。
確かに「無理をさせてはいけない」のは私も同感。
しかし、「できることしかさせない」のはどうなのでしょうか?
植物を育てるように、芽が出たことで喜び、新しい葉っぱが
出てきて(やっと出てきたと)喜ぶ。
それは理解できます。それは解りますが・・・。
今年もトマトを植えているのですが、野菜用の土を用意して
せっせと水をやっていますが、それだけではおいしいトマトは作れません。
定期的に肥料も要るし、土の中に元肥も仕込んでおかないといけません。
今年は今までより手間暇かけた結果、
初めて美味しいトマト(売ってるのとほぼ同じ)ができました。
植物を育てるのも、土と水だけ管理するだけでは不十分なのです。
やはり、ある程度手間暇かけないと美味しいものはできない。
このことからから分かるように
発達障害の療育や教育というのは、芽が出るまで待つという
「受け身」の姿勢だけではいけないと思います。
時には発達を「促すこと」も必要であろうと考えます。
もちろん、無理せず自然に促すことが大事。
「芽がでるまで待つ」というのは
何もうちの小学校だけの事ではないのは、他の人のブログを
見ても分かります。
親が期待しているのは、
芽が出るまでの時間よりも具体的な対策なのですから。
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