昨日の夕食時、愛ママから保育所に愛を迎えに行った時のことを聞いた。愛ママは、「やはり、愛はこの前のグループの子からよく思われていないみたい」とブルーになっていた。先生に相談しても、「考えすぎでは?」と言われたそうだ。内容を訊いても、考えすぎかも?と思う部分とやはり・・・?と思う部分がある。
それについて私の考えはこうだ。
ブルーな気持ちになるのは、周りを変えたいと思って気が重くなるからである。
もっと愛のことを考えて!とか障害のことを理解して欲しい、先生も真剣に対処して欲しい、お友達たちも仲良くしてほしい、だとか自分の周囲を変えようとしているのである。無意識ではあるが。
しかしよく考えてみると、その子達は愛を誤解しているかもしれないがある意味自分の気持ちに正直なのである。
自分の気持ちに嘘をつくことなしに行動している、ただそれだけなのだ。
子供は素直であると同時に残酷でもある。愛は今、その残酷な部分に直面している。本人はそのことを自覚していないが・・・。
愛と同世代の子に、障害の事を理解できるはずがないのにそれをさせようとすること自体に無理がある。
表面的や形だけの理解で、なかよくしているようにさせることは気持ちに嘘をつくことにならないか。
それでは、そのグループが可哀そうである。
ではどうするべきか?
その子達が自然に愛と遊べるようになることである。
つまり、変わらなければならないのは愛の方であると考える。
心の底から愛と遊びたい!と思わせなければならない。
よく、障害者にやさしい社会を!などときくことがあるが、なんでもかんでもやさしくすればいいもんじゃない。
直面する問題を避けていれば、小学校や中学校でも同じ問題が待っているだろう。
にほんブログ村
[0回]
PR