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愛には毎日、「今日は何曜日?」とか
「今日保育所で何した?」「誰と遊んだ?」など
いろいろ訊いている。
昨日は、「今日保育所でおやつ、何食べた?」
と訊いて見た。
すると、言い難そうに
「ウエハース!」
(保育所でそんなのがでるの?と少しビックリ)
”ウエハース”なんてよく覚えてたよなあ。
たぶん本当に出たんだろう。
家では出さないから・・・。
どこまでが”障害”でどこからが”個性”というのか?
人によって障害もさまざまで個性もさまざま・・・・・・。
なかなかその境界は難しいと思います。
それを判断する側もまた様々です。
100点満点のテストで50点をとったとします。
その評価を”50点も取ったじゃないか”と思うのか
”50点しか取れなかった”と思うのか。
後者の評価は減点法で子供を見ているのではと
思います。
”障害”というのも同じで
減点法で子供を見ると”障害が多い”のではないかと
”錯覚”してきます。(客観的な評価が必要です)
子供を減点法で評価すると親がしんどくなってきます。
やはり親も子供の目線で、あれができた、これもできるように
なった、などいっしょになって喜ぶことは必要だと思います。
その中で、出来なかったことができるように
あせらずゆっくり教えていかなければなりません。
以前、ある医師が「支援が必要なのが障害、必要なければ
個性」と言っておられました。
確かにその通りだと思います。